JOYMINISTRY

「福音の賢さん」ー日々のひとこと
<< February 2007 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>
# スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | | category: - |
# 主夫
イエス様、2月も終わりです。早いです。2月は、家内が保育園で仕事を
しました。長いこと体調が悪く仕事もできないでいましたが、仕事に
行けるようになったこと感謝です。朝から夕方までの仕事でさすがに
疲れるようです。2月は比較的平日家で仕事することが多かった私で
したので、「主夫」をさせていただきました。朝は家内を送ると掃除、
洗濯干し、食器洗い、・・・自分の仕事、昼は昼食を作り家内と食べ
る。午後は、仕事の合間に買い物に出かけ夕食作り。そして、仕事か
ら疲れた家内を迎え、話を聞く。家内が重荷を下ろしたところで、い
っしょに夕食。「主夫」もなれてくると手際がよくなります。掃除も
食事作りも上手になってくるのです。何より主婦の働きを体験できて
良かったです。「互いに仕え合いなさい」の聖書のことばを思い出し
ます。またイエス様が「互いに足を洗いあいなさい」と言われたことも。
感謝です。
 明日は3月。外に出かけます。まずはタイやその近隣の国へ伝道旅行
です。イエス様、あなたはどこにあってもともにいてくださいますね。
感謝です。イエス様とともに歩む日々は。ハレルヤ!
| comments(0) | - | 17:47 | category: - |
# 病院訪問
 今日は、神学校時代に、よくした「病院訪問」のことを書きます。
自分が病気をし、入院したこともあるので、病院で入院している人の
ことはいつも気になります。東京の新宿にある鉄道病院をはじめあち
こちに行きました。忘れることのできない人がいます。Kさん。
肺結核で余命わずかとの宣告を受けた方です。初めて訪問した日です。
私が病室に入るや、Kさんは泣き出したのです。戸惑いました。
「神さまはKさんのことを愛しています。」と言って、イエス様がKさんの
罪のめに十字架にかかって死なれたこと、そしてよみがえられ今も生
きていること、イエス様を信じる人を救ってくださること、を短く話すし
かありませんでした。そして、「Kさん、イエス様を信じませんか」と
勧めたのです。Kさんは、「はい」とうなずきました。
そして、私の後について「イエス様、私はあなたを信じます。私の心に
お迎えします。アーメン」とお祈りしました。
 ところが、お祈りが終わるや、寝ていたKさんがベットに座り、鼻に
さしていた管を両手で抜き、「やったー!とうとう見つけた。
とうとう見つけた!」と叫び声をあげたのです。
私はびっくりしました。どうしちゃったのか、気が変になったのか
・・・。いいえ、すではなかったのです。
 「私はずっと神さまはいるのではないか、と思っていろいろな
宗教に求め、宗教書や哲学書(ベットの周りに置かれていた)を読ん
きました。でも、今わかったのです。私の前にいるのがわかった
のです。」とKさん。うれしかったのです。
 それから、一週間後、再び部屋に行きました。ところが部屋は
明るく、また寝たきりのKさんが笑顔で座っていたのです。
イエス様の救いの素晴らしさに驚きました。
 「だれでも、キリストのうちにある者は、新しく造られた者です。
見よ。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。」
          (2コリント5:17)
 
| comments(0) | - | 19:56 | category: - |
# 朝の祈り
イエス様、感謝します。朝めざめるとすぐにあなたのことを思います。
じっと静まることの時の平安。あなたがいっしょにいてくださる。
今日一日もあなたといっしょです。
聖書を開きました。今日の通読箇所は、第一ヨハネ4:13-21です。
13節に心がとまりました。
「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、
私たちが神のうちにおり、神も私のうちにいることがわかります。」
そうです。私もわかります。あなたがおられることがわかるのです。
聖霊によってわからせてくださるのですね。
 今日もあなたとともにある私です。感謝です。
朝の祈りの時に開き読み黙想しお祈りする時は何と幸いな時でしょう。
| comments(0) | - | 07:02 | category: - |
# 洗礼式
今日は、Fの教会に家内といっしょに行きました。
礼拝のお話(1ヨハネ1:1−4)をした後で洗礼式でした。
嬉しいですね。ひとりの人が救われ洗礼を受けられるのは。
司式をさせていただきました。大ぜいの人たちの見守る中
で受洗です。その方がめがねをかけているのに気がつかず
水の中にザブンでした。洗礼を受けられたSさんは笑顔でい
っぱいでした。「変わったねー。こんないい顔を見てうれしい」
と彼を導かれた方が言っていました。
イエス様感謝です。長いこと病気で苦しみ続けてきたSさんだけ
に、本当に感謝です。洗礼式の後、みなで聖餐式です。
「わたしを覚えるためにこれを行いなさい。」とイエス様が言われ
ました。イエス様が私たちのためにどれほどの愛を表してくださ
ったか、賛美しながら思いめぐらしました。
感謝!感謝!感謝!です。心を込めての聖餐式、あなたの
臨在を感じました。
礼拝後は、感謝の食事の時。カレーライスでした。デザートもあり。
 感謝!
| comments(0) | - | 21:13 | category: - |
# 感謝すると
 朝暗い中、静かな祈りの時です。あのことこのこと、あの人この人のために
お祈りしていた時に、「感謝は」とのことばです。そうだ願いばかりでなく
神に感謝することが少なくなっていたなと思いました。それで、どんなことも
「感謝します」です。心に喜びが沸いてきました。
 「すべてのことについて、感謝しなさい。」(1テサロニケ5:18)
 今日は、私は家での仕事、家内は外へ仕事です。家事は私がしました。
皿洗い、洗濯物干し、部屋の掃除、・・・昼食作り・・・。慣れてるものの
心に少し不満が。しかし、これができること、互いに仕え合うことができる
ことを、感謝しました。「イエス様、感謝します。」と。すると、不満は消え、
喜びに変わりました。感謝です。
 

| comments(0) | - | 20:00 | category: - |
# 神学校時代(続)ー奉仕教会で
 神学生は、教会で奉仕をします。私は世田谷の教会で奉仕をしました。
土曜と日曜が奉仕です。A先生ご夫妻は、私の模範でした。先生ご家族は
古い民家に住んでいました。そこの離れに牧師の部屋があり、私はその隣
りの部屋に泊まり奉仕でした。早朝起きると、先生は神にひとり祈って
いました。神の臨在を感じ近寄れない雰囲気でした。「主よ。」と親しく
神に呼びかける。先生のきよさや謙虚さ、そして優しさや力強さは、ここ
から来ていたのです。私もその姿勢にならって、朝起きると、主の御前に
でて静まり、祈る時を持っています。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10
 「主を待ち望む者は、新しく力を得、鷲のごとく翼をかって
 上ることができる。」(イザヤ40:31)
 奥様は、明るい方で、先生に仕え、教会の人たちを明るくしてくれました。
日曜礼拝、教会の受付におられる。ひとりひとりの名前を呼ぶ、
「渡辺君。おはよう。」その声でいつも元気にされました。
奥様にはいつも「渡辺君、”主の山に備えあり”(創世記22:14)よ」
と言われました。本当にその通りでした。主イエス様は、私がどこに行っても
必要なものを備えてくださいました。経済的に困難な時、様々な試練で
孤独を覚える時、主はいつもいっしょにいて助けてくださいました。
また、友を人を備えて励まし助けてくれました。
 −続く
| comments(0) | - | 20:34 | category: - |
# あかしー神学校
今日は、あかしの続きです。ー神学校時代のことー
 1971年4月に東京杉並にある神学校に入学。古い木造二階の建物。
そこに全国各地から来た学生たち20数名の人がいっしょに住み学ぶ。
将来牧師になるために、聖書の学びと訓練。最初の年はいろいろな
ことがありました。まずは、タイ宣教師の召しです。
学校に入る前から、宣教師の思いがあり、お祈りして来ました。
それが、ある宣教報告会に出席して、確かにされました。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに、福音を宣べ伝え
なさい。」(マルコ16:15)のことばを通して、イエス様は私の心に語られ
ました。タイに宣教師として行くことを。以前私は経済の研究でアジア
ータイにも行く予定でしたが、イエス様はタイに福音を伝える使命を与えら
れたのです。心の中に「わたしに従いなさい。タイへ行きなさい」と
語られたのです。「従います」と返事した時、心は平安になりました。
しばしば、この召しを疑い迷うこともしばしばありました。しかし、
その度に、「主の召しと賜物とは変わらない。」(聖書)とのことば
に、揺るがないものとなっていきました。
 最初の迷いー試練。それは、大病です。1年の6か月は、体調がおか
しくいつも気分が悪い。病院に行っても「気にするな」と言われる。
でもお腹がはり気分が悪いのです。がまんにがまん。でも、悪いので
地元の病院で検査し東京に戻る。病状は悪化し吐血。これはいけない
と思った。地元の病院に車で運ばれることになった。
先輩が「辺ちゃん、死ぬなよ。生きて帰って来いよー」と言う。
車の中で世空を見ながら、これで自分は死ぬのかなー、と思しました。
病院に運ばれ点滴点滴・・私は「なぜ?なぜ?」と疑問。大手術です。
術後も「なぜ?なぜ?こんなことに・・」と自答しました。
しかし、後にわかりました。これは神の与えてくださった最高の訓練
であると。自我の強い私が砕かれる時でした。大病でまた死をも覚悟
させられるようなことで、やっとすべてを主イエス様におゆだねすること
になったのです。もう一度生かしていただいて、本当に、主に信頼して
歩むことが幸いであるかを知ることになったのです。
 「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。」(詩篇119:71)

| comments(0) | - | 21:55 | category: - |
# あかしー神学校
今日は、あかしの続きです。ー神学校時代のことー
 1971年4月に東京杉並にある神学校に入学。古い木造二階の建物。
そこに全国各地から来た学生たち20数名の人がいっしょに住み学ぶ。
将来牧師になるために、聖書の学びと訓練。最初の年はいろいろな
ことがありました。まずは、タイ宣教師の召しです。
学校に入る前から、宣教師の思いがあり、お祈りして来ました。
それが、ある宣教報告会に出席して、確かにされました。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに、福音を宣べ伝え
なさい。」(マルコ16:15)のことばを通して、イエス様は私の心に語られ
ました。タイに宣教師として行くことを。以前私は経済の研究でアジア
ータイにも行く予定でしたが、イエス様はタイに福音を伝える使命を与えら
れたのです。心の中に「わたしに従いなさい。タイへ行きなさい」と
語られたのです。「従います」と返事した時、心は平安になりました。
しばしば、この召しを疑い迷うこともしばしばありました。しかし、
その度に、「主の召しと賜物とは変わらない。」(聖書)とのことば
に、揺るがないものとなっていきました。
 最初の迷いー試練。それは、大病です。1年の6か月は、体調がおか
しくいつも気分が悪い。病院に行っても「気にするな」と言われる。
でもお腹がはり気分が悪いのです。がまんにがまん。でも、悪いので
地元の病院で検査し東京に戻る。病状は悪化し吐血。これはいけない
と思った。地元の病院に車で運ばれることになった。
先輩が「辺ちゃん、死ぬなよ。生きて帰って来いよー」と言う。
車の中で世空を見ながら、これで自分は死ぬのかなー、と思しました。
病院に運ばれ点滴点滴・・私は「なぜ?なぜ?」と疑問。大手術です。
術後も「なぜ?なぜ?こんなことに・・」と自答しました。
しかし、後にわかりました。これは神の与えてくださった最高の訓練
であると。自我の強い私が砕かれる時でした。大病でまた死をも覚悟
させられるようなことで、やっとすべてを主イエス様におゆだねすること
になったのです。もう一度生かしていただいて、本当に、主に信頼して
歩むことが幸いであるかを知ることになったのです。
 「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。」(詩篇119:71)

| comments(0) | - | 21:55 | category: - |
# 愛知の旅ー尽きない話
 愛知の旅の一週間でした。イエス様感謝します。
新所原では、kさんと「ヘブル語聖書」の学びです。車でも会社でも
時間を見つけてはテープを聴き学ばれるKさんには本当に励まされます。
豊田では、sさんと、聖書学び会の前に夕食です。らーめん店で。
いつもながら話は尽きません。信仰の話です。
夜9時20分に集会を終えて、名古屋の教会へ。11時すぎに着いたのですが、
Iさん夫婦と話。時間を忘れて語らいました。寝たのは朝2時でした。
信仰のあかしは、とても励まされます。
 翌日は、豊川教会。教会の看板を書く。午後は、甥のTちゃんを訪問。
感謝です。聖書の話でまた話は尽きません。
帰る前に、兄が、新しい折り紙を4種類教えてくれました。タイ伝道旅行に
使えると思い、習いました。
とにかくどこに行っても、聖書の話、イエス様の話に、時間を忘れてしまい
ました。感謝です。
 木曜日午後帰宅、夕方はタイ伝道旅行の準備で、同行するO君と打ち合わせ
です。彼は、一回タイ語教えただけなのに、すぐにそれを使う。「アーチャン
サワデー クラップ(先生、こんにちは)」と。いいですね。これなら
タイの人々から歓迎されますね。
 ブログをと思いながら、次の準備があり、休みです。
土曜と日曜日の奉仕の準備です。何よりもお祈りです。祈りつつ聖書の箇所
を何度も何度も読み、またノートで図解しているうちに、いつしかあなたと
の交わりです。説教し教えるための準備ですが、私がまず聞くことからです。
イエス様感謝です。
 土曜日は、豊橋へ。訓練学校、楽しかった!マルコによる福音書の学び
ですが、まず背景の学びをしました。「聖書の時代の人々と暮らし」(絵入)
を用い、そしてホワイトボードで図解しながら学びました。背景なんて、歴史
なんて、嫌がっていた人も「おもしろい!楽しい!」と言っていました。
1時間半はあっという間に過ぎてしまいました。満足満足。
その後で、様々な質問の時。これがまた恵まれました。
 夜は、長山に住む姉夫婦の家へ。クリスチャンの姉と信仰の話になりました。
「赦し」について。T姉は、決して人の悪口を言わない。責めない。
だからと言って心に憎しみを持っているわけでもない。あなたにゆだね
てしまっているのでした。人にされたことはゆだねる。もう人の悪口を
言わない。だから、心から喜びが顔に溢れている。
 日曜日、S教会で礼拝と聖書の学び。イエス様感謝でした。あなたが導いて
くださいました。学びの時は、「旧約聖書外観」の最終回でした。
エステル、ゼカリヤ、マラキ書です。図解し絵を描き、笑いありの本当に
楽しい聖書の学びでした。あっという間の1時間半でした。あなたが導いて
くださったこと、本当に感謝です。
 豊橋へ。夕方豊橋の教会で、「ジョイミニストリー」の支援会について
話し合いました。語らううちに、心燃やされました。祈りの時を持ちました。
お祈りにって、いつも道は開かれてきたからです。
その後、友人もT牧師の教会へ。面白い話を聞きました。彼とは同じ大学
山田ゼミで知り合う。その時、彼はクリスチャンで学内で伝道をしていました。
私は彼をけなしていました。(しかし、学内で聖書の集会案内の看板を私
が書いて伝道を手伝った、というのです。)でも、その年に私はイエス様を
信じ洗礼を受け・・・献身をし神学校に。彼はそのことは知りません。
神学校を見に行き、ある授業に出席してみたその時に、彼(先に神学校に
入っていた)は、私の顔を見てびっくり。「どうして?どうして?渡辺さ
んがここに?」驚くのも無理はありません。クリスチャンの彼をけなしていた
のですから。その私が1年後にクリスチャンになりまた牧師の道に進もうとして
いるのですから。主の導きの不思議に、私たちは感謝しました。
教会での話しは尽きません。9月に特別集会に来てと依頼されました。
最終で家に帰りました。愛知での旅、主の導きと祝福感謝でした。
| comments(0) | - | 10:10 | category: - |
# 東京でのひととき
 東京から戻りました。風邪を引いていて少し気分をすぐれませんでした。
行きの電車の中では寝ました。東京では様々な方に会いました。
 東久留米で、I先生を訪問。昨年11月ごろ緊急に入院手術。ずっと祈ってきました。
3日ほど前に退院されたので、ぜひお見舞いをしたいと先生の家に行きました。
長いは疲れさせてしまうので、少しだけ語らいお祈りをしました。あなたのみことば
と祈りは、心を平安にしてくれます。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」(イザヤ41:10)のことばを口に出しあなたにお祈りをすると、本当に平安です。
先生と握手。奥さん「先生、ぜひまた寄ってくださいね」と言われました。
 簿記2級  
東村山教会で、ふたりの青年が簿記の勉強をしていました。O君が「先生簿記できる?」と聞いてきたので、「高校が商業だからね、3級持ってるよ。」と言って、私はこんな
話もしました、「2級をね、簿記部の友達がね代わりに試験を受けて合格したので、日商
2級の免状をもらったよ。でも、これは不正なのであとで破ったんだ。」
すると、O君K君は「その記録は残っているよねー。(本部に)」と笑いながら言われ
て、はっとしました。そうですね、不正の記録は残ったままです。
私は自分の犯した様々な「罪の記録」を思い浮かべました。自分は忘れたと思っても
神さまは覚えている。しかし、イエス様は十字架ですべての罪を負って下さった。
イエス様を信じる者は、罪の記録は消される。「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さない」(エレミヤ31:34)と神さまは言われました。イエス様のゆえに赦され、もはや責められることがない。イエス様、感謝します。
夕食は、天野先生夫婦と3人の青年たちといっしょに、「うどん」と「さらだ」でした。
うどんのスープがおいしかった。楽しい交わりでした。感謝です。
 若者たち 翌日は、O君の車で所沢の教会へ行きました。車の中で、旧約聖書の「ヨナ」の話になりました。昨夜3人の青年たちは教会で泊まり朝4時ごろまで話してたとの
ことですが、その話が何と聖書の話で、ヨナの話も出たのですが、わからないところも
あったので、私に質問してきたのです。車の中で聖書の話・・イエス様と弟子たちみたいで
すね。ちなみにO君は私のことを「アーチャン(先生・タイ語)」と呼ぶのです。彼とタイに
伝道旅行に行くのですが、もうすんな感じです。聖書の話をすると心は喜びですね。
所沢教会で礼拝。若い人たちが多く来てました。礼拝後、輪になってひとりひとり、
会社のこと、仕事のこと、将来のこと、身近な出来事などを話ました。いいですね。
若い人たちから元気をいただきました。1時間半。飽きません。昼食の時も話は続きました。将来のことが語られる。若者の特権ですね。
 そして、書初め。またまた、楽しい時となりました。感謝!
| comments(0) | trackbacks(0) | 21:25 | category: - |
Archives
Profile
Mobile
qrcode
Search this site
Sponsored Links