土曜日の学びのクラスで「諸宗教について」一緒に学びました。
その中で、仏教の団体では「法座という集会によって拡大して
行った」との記事を読み、昔を思い出しました。
小学校から中学校の頃までそれに両親と出席していました。
あの家この家に行き、「題目」を唱え、お経を読み、僧侶か
ら講話を聴く。その時間はとても嬉しかった。S先生(僧侶)
のお話は子供にもよくわかった。「あのS先生のようなお坊さ
んになろりたい」と思いました。教えに従って良い行いをし
ようと努力しました。大学時代になっても僧侶になる夢は変
わりませんでした。
しかし、宣教師との出会いによって、教会に行き聖書に触れ
て自分の罪深さを知らされ、また死の恐れー死んだらどこへ
行くのかーを知らされました。・・そして、ハレルヤ!感謝です。
イエス様、あなたの十字架と復活!私の罪のために死なれ、
よみがえって、生きておられる!私の救い主!あなたを信じ
て私は変えられました。あなたは生ける神。いつも私ととも
にいてくださる。あなたとともに生きる人生何と幸いでしょ
う。ハレルヤ!感謝です。
救われてからは、法座ではなく、教会の「家庭集会」です。
その集まりは何と感謝でしょう。あなたたが真中にいてくだ
さる。西尾で、アメリカで、碧南で、タイで、藤枝で、・・どこに
行っても「家庭集会」をあちこちで持たせていただきました。
イエス様にあって喜びの時です。感謝!
「ふたりでも三人でもわたしの名にによって集まる所に、
わたしもその中にいる。」(マタイ18:20)