今朝の通読の中で
、「ことばにも、態度にも、愛にも、純潔にも
信者の模範になりなさい。」(テモテ第一、4:12)が目に留まりました。
<模範>と言うと、すぐに父を思いました。私の字は父に似ています。
どうしてか?それは、ある時期いつも父のそばで見ていたからです。
いつしか同じような字になっているのです。また、父は困った人がい
ると、自分が大変でもその人を助けていました。それは私の模範にな
っています。
信仰者の模範。まず思い出すのは、スエーデンのリンデン宣教師夫妻です。
心温かな先生たちでした。私が入院した時、毎日訪れ、少しの励まし
のことばとお祈りです。病人を気ずかって10分以内で、帰る。その代
わり毎日来てくれました。私もそれにならっています。
奥さん(エンマさん)は、ことば少ないが優しさが滲み出てくる笑顔
で私を見ていました。訪問しそばにいる、それだけで心いやされる。
訪問のあり方を学びました。
また、熱心な祈りです。宣教師館に行くと、大声で心からお祈りして
いるのを耳にしました。「愛する主よ。日本の人々を救ってください
・・・・」。いつ行っても熱心な祈り。今もその声を思い出す。
そして、熱心な伝道。私のところにどれほど訪問されたでしょうか。
居留守を使ったり、また、教会へ行くのやめ仏教の方に行ってしま
った私のために、あきらめないで祈りまた訪問し続けられました。
そのお陰で今の私があります。私もそれを模範としています。
また、質素な生活です。ある時、庭に干してある背広やシャツを見まし
た。背広はかすれ、何十年も同じもの。シャツも古く破れたところは
継ぎ足してありました。食事も質素でした。その代わり、日本の伝道
のため、困った人たちのために、惜しみなくささげておられました。
豊かな日本に住む私です。いつしか「質素」を忘れることがあります。
タイに行ったり、先生のことを思い出して、質素な生活を心がけています。
そして、「受けるより与える者は幸いです」。惜しみなく与えていく
者でありたいと思います。