JOYMINISTRY

「福音の賢さん」ー日々のひとこと
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# さあ、出発
  さあ、青森と北海道です。
「わたしはいつもあなたと共にいる」(マタイ28:20)
との主イエス様のことば。
 そうです、主よ、あなたが先頭ですね。
伝道の旅、どのような出会いがあるか、
どのような主のみわざを見せてくださるか、
楽しみです。
 秋の青森と北海道・・・・
主の造られた山や丘や紅葉を見て
賛美しつつ・・・

   
    美瑛の丘
| comments(0) | - | 15:27 | category: - |
#  Tさんの笑顔
  Tさん(今は寝た切りの方)を訪問し
5人も小さな礼拝です。
 日曜午後、昼食食べた後なのでTさん
は眠っていました。
 「お母さん、渡辺です。来ましたよー。」
「先生、すみません。寝てしまって・・」
「お母さん、さあ、賛美しましょう」
そう言って、「主われを愛す」を歌い始めると
(入れ歯を外した)口ぱくで歌っているのです。
最後まで。目が開いてきました。にこっとしました。
 次に、聖書の話です。
「ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい外なる人が衰えても、内なる人は日々
新たにされています。」(2コリント4:16)
 よく聞いています。Iさんも娘さんも目から涙。
その後、「いつくしみ深き友なるイエス」を
いっしょに賛美しました。すると、今度は
喜びが溢れてきました。本当にいい顔です。
それを見て、私たちは大変励まされました。
 小さな集い。そこにイエス様がいっしょに
いてくださる。何十人何百人の集いに勝ると
劣らないものです。主イエス様はいるから。
「ふたりでも三人でもわたしの名によって
集まる所にわたしもその中にいるからです。」
  (マタイ18:20)
主イエス様、感謝です。
 「ひとり」が大事。
| comments(0) | - | 17:47 | category: - |
# I先生
  久しぶりにI先生ご夫妻を訪問しました。
「先生、こんばんわ」
ご夫妻が笑顔(喜びあふれて)で迎えて
くれました。重い病気で入退院を繰り返
していたI先生ですが、あの時の辛そう
な面影はありない。元気になった!
 何と先週、東久留米の家から前橋まで
「ウオーキング」して来たのです。
ですから、日焼けで真っ黒です。
  
      田んぼの間を歩く
 お茶菓子を食べながら、その様子を聞き
ました。一日20キロを歩く、そして、知人
の教会で、交わりをされて来た。
 「先生、その交わりが元気にしてくれるね。
先生(私のこと)がこして来てくれて語らう
ことで力をいただけるんです。」
 「そうですね。私も先生のところに来て
私も力をいあただけるんですよ。」
I先生も奥さんも、そして、私も心に主に
ある喜びで満ち溢れました。
 先生は、この8月で退職された。新たな
ビジョンー故郷の新潟中心に北越の教会
の宣教に協力することーを、スタート。
「あの病気で、このビジョンはできないの
かーと思ったけど、主は癒して、これを
行なわせてくださるので嬉しい」
と言われる。私も「北越の教会」のために
協力を約束しました。感謝!

 「私はすべてのことを、福音のためにして
います。それは、私もともにその恵みを
ともに受ける者となるためです。」
      (1コリント9:23)
| comments(0) | - | 17:30 | category: - |
#  歓迎礼拝

  昨日は「歓迎礼拝」。
青年の特別賛美(演奏)や独唱、そして、
聖歌隊の賛美がありました。
 聖歌隊の賛美は、とてもすばらしいく
「賛美は力」ですね、聴く私たちの心を元
気にしてくれました。練習に練習を重ねて
いるなと思いました。
 メッセージは、「人生をいかに生きるか」
の題で「伝道の書」の特に1節のことばを
中心にお話をしました。
 「あなたの若い日に、あなたの創造者を
覚えなさい。わざわいの日が来ないうちに、
また『何の喜びもない。』と言う年月が近ず
く前に。」(12:1)
 教会員のご両親が、目を丸くしうなずいて
聴いているのが大変印象でした。
 集会後、食事しながら語らいです。
 
 先週も「歓迎礼拝」でした。このところ、まだ
信じていない方々に「聖書」(福音)を語る機
会があり感謝です。私の力です。

 

| comments(0) | - | 17:10 | category: - |
# 平和の祈り

「教会史に学ぶ」は、中世で有名な人ー
 アッジシのフランシスコという人
を取り上げました。
 イタリヤの裕福な家庭で育つ。金遣いが荒く
親を困らせた。20才の時兵士になった、しかし
病気にかかる。 彼に、主イエスの御声が
「フランシスコよ。お前はどこへ行くのか。すぐ
アッジシに帰れ。なすべきことがそこで示される。」
彼の心に大きな変化が起きる。ある日、道端で
ハンセン氏病患者と出会いから回心。
「愛するフランシスコよ。お前がその生涯をすべ
てわたしにゆだねるならば、わたしはお前を通し
て多くの人を救おうとしている。」との主の御声。
 彼は立ち上がり、主イエスに従った。
主のみを頼りにして、清貧、貞潔、謙遜と愛の
奉仕の生活に入る。
 「ただで受けたのだから、ただであげなさい。」
(マタイ10:7−12)のことばを実践。
人々に回心を迫り、真の平和を呼びかけた。
 彼の「平和の祈り」は、私たちの祈りにしたい
と思いました。

  主よ、私を平和の器とならせてください。
   憎しみのあるところに愛を
   争いのあるところにゆるしを
   分裂には一致を
   疑いのあるところに信頼を
   誤りのあるところに真理を
   望みなきところに希望を
   暗きには光をもたらす者としてください
  主よ、慰められるよりも人を慰める者に
   してください
   理解されるよりも理解する者に
   愛されることよりも 愛する者とならせて
   ください
   それは、私たちが自ら与えることにより受け
   ゆるすことによってゆるされ、
   自分のからだをささげ死ぬことによって
   永遠のいのちを得ることができるからです。
     主イエスによって  アーメン

| comments(0) | - | 16:49 | category: - |
# えっ!
 
  28年前、コンケンの我が家で
  エウモン教会のサムラーン先生夫妻と

 東北タイのコンケンにいた時、田舎の
エウモン教会で奉仕していました。
 土間にござを敷いて、その上での礼拝
です。にわとりが「コッコッコッ・・・」と鳴き
入って来ました。ちなみに、タイ語で「コッ」
というのは、「(戸を)たたく」という意味です。
 また、ぶたや水牛が窓から首を入れて
「何をしているか」とでも言わんばかりに
覗いてくるのです。
 礼拝に来ていた人は、ほとんどが子でも
です。「9時始まり」と言うのに10時になって
もみんなしゃべっているだけ。11時頃、
「あ、じいさん来てない呼びに行って来る」
と先生。そして、始まった礼拝は、11時半
なのです。マイペンライ(気にしない)なの
です。時計もないですし、時間に左右され
ない。自然な生き方。
 さて、それから7ほどたってからバンコク
で教会開拓をしていた時のこと。
ふたりの青年が来ました。
 「アーチャン(先生)、サムラーン先生わか
る?アーチャン(私のこと)が、エウモン教会
に来た時、僕はあの中にいあtんです。」
 驚きました。あの教会でずっと奉仕する
予定でいたのに、事情でウドンの町の方に
移った私たち。どうなったのかな?と思って
ましたが、こうしてあの子どもの中から教会
に来る者がいて。
蒔いた種はいつ実を結ぶかわかりません。

「神の国は、人が種を蒔くようなもので、
 夜は寝て、朝は起き、そうこうしている
 うちに、種は芽を出して育ちます。
 そのようにしてか人は知りません。」
     (マルコ4:26,27)
 「時がよくても、悪くてもみことばを宣べ
 伝えなさい。」(2テモテ4:2)
| comments(0) | - | 18:19 | category: - |
# 昔の日記
  今、20数年前のタイ宣教時代の日記を読み返して
います。本にするためです。東北タイのコンケンにいた
時のことです。私は、35才でした。
 
     28年前のコンケンの市場

 この前のガラナヤワット中高等学校の夜間で学ばせて
もらいました。小学5年〜中一程度のクラス。
貧しくて学校に行けなかった若者が学んでいました。
私は「タイ語習得」ために入れていただいたのです。
 「日本人」と言うだけで珍しがられ、「宣教師」と言う
と関心を持って、「キリスト教」のことを聞いて来る者
もいました。算数の時間も出ました。
  236+289=  と言う問題。すぐ答えると
 「さすが、日本人頭いい」と言われてしまいました。(笑)


      35才の私。20才前後の若者と学ぶ。

 タイの学校では、「先生(クルー)」は尊敬されている。
「先生の日(ワンクルー)」というのがあって、講堂に全員
集合。クラスの代表者が、担任にみなで作った「花」を
うやうやしい態度で、贈るのです。
 クラスで隣りの席のワリン君(18才くらい?)が私の
家によく来ました。また、教会にも来ました。
彼は何才かな?もう40才近くかな?会いたい。
 日記を読み返すと、あの人この人に会いたくなります。
多くの出会いがあったので。
| comments(0) | - | 19:12 | category: - |
# 昔の日記
  今、20数年前のタイ宣教時代の日記を読み返して
います。本にするためです。東北タイのコンケンにいた
時のことです。私は、35才でした。
 
     28年前のコンケンの市場

 この前のガラナヤワット中高等学校の夜間で学ばせて
もらいました。小学5年〜中一程度のクラス。
貧しくて学校に行けなかった若者が学んでいました。
私は「タイ語習得」ために入れていただいたのです。
 「日本人」と言うだけで珍しがられ、「宣教師」と言う
と関心を持って、「キリスト教」のことを聞いて来る者
もいました。算数の時間も出ました。
  236+289=  と言う問題。すぐ答えると
 「さすが、日本人頭いい」と言われてしまいました。(笑)


      35才の私。20才前後の若者と学ぶ。

 タイの学校では、「先生(クルー)」は尊敬されている。
「先生の日(ワンクルー)」というのがあって、講堂に全員
集合。クラスの代表者が、担任にみなで作った「花」を
うやうやしい態度で、贈るのです。
 クラスで隣りの席のワリン君(18才くらい?)が私の
家によく来ました。また、教会にも来ました。
彼は何才かな?もう40才近くかな?会いたい。
 日記を読み返すと、あの人この人に会いたくなります。
多くの出会いがあったので。
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# Yくん・・・祝福の家
 
  Yくん

 T教会の先生のお子さんーYくん、3才。
いっしょに遊びました。「鉄道」が大好き。「鉄道図鑑」を
見せて説明してくれました。「せんせいこれのったよ。」
と私が答えると次々と説明。そしたら、電車のおもちゃを
出して来ました。それで遊びました。
 これにあきると、次は外で小さなシャベルで穴掘り、
・・・野球ボール投げ・・
 楽しかったです。孫と遊んだみたい。

 家に帰り、Yくんのことから、タイの子どもたち(親の
いない)のことを思いました。写真が届きました。
「アーチャン、ケンジ、いつきますか?来てください」
毎年訪問していますが、今年まだ行けていない。
ここに行くと、Yくんみたいに、子どもたちが私から
離れません。


        祝福の家の子どもたち(タイ国ウドン)
| comments(0) | - | 06:59 | category: - |
# TK教会で(続)
  午後は、「にこにこ食堂」(面白い名前)。
婦人たちが作ったもの。
  1人 200円  安い!
 会堂にテーブルを並べての食事。
お年寄り(84才、88才)から、壮年、主婦、青年、
高校生、小中学生、それに小さな子どもたち。
 一つの家族のようです。
 
   家族で食事でーす!

 その後で、修養会です。
「あなたもできる個人伝道」のテーマ。
一方的な講義ではありません。みんなとともに
分かち合う時。「こんなことでも」ということで
「折り紙」を折り、一枚の紙でヨハネ3:16の
メッセージ、などをしたり、さらに、互いに自分
の趣味とか特技とかなどを語りあいましたの
で、暑い眠たくなる午後の時間も全然眠たく
なりません。2時間があっという間で、とても
充実したものとなりました。
 私が講師ですが、いつも私も皆さんから何か
を学びたいと耳を傾けるので、とても充実感が
あります。皆さんの話に教えられます。
 「互いに人を自分よりもすぐれたものと思い
なさい。」(ピリピ2:3)
学びの後、ひとりひとり感想です。
もう2時間半が過ぎていました。
 感謝します。
| comments(0) | - | 17:42 | category: - |
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