今日、病院訪問の帰り道、歩きながら思い巡らして
いました。
「私は訪問して、話しを聞き、そして、聖書のことばを
話しお祈りする・・・これだけしかできない・・・・・
もっと(からだを使って)世話をしたりしなければ・・・」
でも、恩師の故朝岡先生の語られたあかしー私が
いつも原点に戻らされるーが思い出されました。
先生は、ある施設に聖書を教えに行っていました。
そこでは、ボランテアの人たちが一生懸命からだを
使って奉仕していた。その時、その施設の子どもたち
に言いました。
「自分は聖書を教えにくるだけで、あの人たちの
ようにできない。役に立てない。もう来るのやめま
す。」
すると、彼らはこのように答えたと言う。
「先生、やめないでください。神様のことばは私に必要
です。先生の他の人にはできません。やめないでください。
私たちは自分のできることは自分でできるようにします
から・・・・・」
その時、先生は「そうか」と深く悟らされ、続けて行った
そうです。
話しことばは正確ではありませんが、とにかく
「聖書(神のことば)を教える(語る)ことがいかに
大事な大事な働きであるか」を知らされました。
今日の訪問もひとりの方に
神のことばを読み少しお話しをし神に祈りました。
祈り終わると、心からの喜びが顔に表われました。
「私たちは、もっぱら祈りとみことばに励ますことに
します。」 (使徒6:4)
今日は、このことばをSさんに話し、お祈りしました。