大きな粒のいちご
今日は、姉が「いちご」を持って来てくれました。
姉は「人にあげるのが好き」。たくさん採れたとのことで
午後兄や友人知人に配って、その後で娘たちのところに
持って行く途中に神宮前によりました。
駅構内で待ち合わせ。箱を受け取り家で開けると
こんなに立派なもの。我が家で少し食る。
「甘〜い」
他の人にあげるのが惜しくなるほどでしたが「分かち合い」
ます。
それにしても、姉はよく動きます。昔から少しも変わりません。
「お姉さん、休んだら死んじゃうよ(笑)」
人のために生きて来た姉です。
看護婦として長年働いて来ました。訪問介護もしました。
本当によく動く。両親が老いて動けなくなった時は、よく
助けに行きました。今も弱った兄たちを訪問します。
教会でも弱い人たちの友となっています。
私の1年後にイエスさまを信じて、信仰生活をして来た。
伝道者になった私と家族のためにいつも支えてくれました。
その姿を見ていつも
聖書を口で語ることだけでなく「みことばに生きる」こと
を知らされます。立派な話(説教)ではなく、みことばに生きる者
であらねばと思わされるのです。
愛を語ります。しかし、いかに愛に生きていない自分なのかを
知らされることがあります。困っている人を見ても忙しさのゆえ
に「見て見ぬふり」になってしまうことがあるのです。
講壇に立ちみなさんに語る自分が恥ずかしい時があります。
イエスさま、みことばに生きる者としてください。
「みことば実行する人になりなさい。」
(ヤコブ1:21)