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「思いやりのある視線を送る人は
祝福される人である。」(箴言22:9)
目は心の窓です。心にあることが目に現れます。
人をさばくとそれが目に現れます。
人を思いやりをもって見るとその思いやりが目に現れます。
どんな人にも思いやりのある視線を送る人は
祝福されます。「この人を祝福してください」と祈って
見ると自分の心が温かくなります。
人をさばく目ではなく思いやりのある視線を送りたいですね。
そのために人の祝福を願いお祈りすることです。
「いつも喜び、絶えず祈り、
すべてのことについて感謝しなさい。」
(1テサロニケ5:16~18)
喜び、祈り、感謝。これです。日々こうして歩みたい。
6月18日(日)に飛騨古川の教会で洗礼式。
洗礼を受けられたのは5月初めの礼拝後にこのことば
で心を開きイエスさまをお迎えするお祈りをされた青年
です。その時に救いの確信が与えられ、そして、洗礼
を受けたとのことです。感謝です。
「わたしの声を聞いて戸を開けるなら
わたしは彼のところに入って」
とイエスさまが言われましたが、彼女は「私はお祈り
します」と言って、心迎えるお祈りをしたのです。
昨日の礼拝は「友なるイエス」の題でお話ししました。
イエスさまは
「わたしはあなたがたの友です。」(ヨハネ15:13)
と言ってくださっています。
イエスさまは私たちの心の弱さを知っておられます。
人に打ち明けれない心の悩み悲しみを聞いてくださいます。
「イエスさま」と呼びかけるだけで心は平安にされます。
イエスさま、感謝します。
新潟聖書学院
礼拝の後で皆さんと写真
伝道のセミナー
みことばを書こう
「主イエスに従う」を書きました。
大変恵まれた時でした。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
わたしはあなたを強め助け守る」
(イザヤ41:10)
みことばには力があります。このことばに多くの人が
励まされています。ですから何枚も書いて旅に持って
行きます。
消しゴムスタンプで押されたはがきが送られてきたので
それにみことばを書きました。家内の目の手術の後でし
たのでこんな聖句が目に止まりました。
「私のおしえをあなたのひとみのように守れ」
(箴言7:2)
ひとみは大事です。そのように主の教え(ことば)は大事です。
それを守り行うことですね。
新潟と金沢への伝道の旅から帰りました。
これは新潟港で休憩した時のものです。
孤独だよ?
新潟港で魚釣りをしている人たちを見て「いいなぁ楽しそうだな〜」と思いながら展望台に上がりました。
そこでひとりの年配の男性と世間話になりました。 その中でこんなことを話されました。
「わしは退職して20年になる。特別何もすることなく来てしまった。退職したら男はダメだね、
友だちができないんだ。孤独だよ」
と言うのです。
そればかりか「80歳になるがこんなに生きるとは思わなかったよ。早く死にたいよ。」とも。
昨日の朝も海岸で会った方が同じようなことを言っていました。
「ただ生きているだけ喜びはない。孤独だよ」と。
私は聖書の『伝道者の書』を思いました。最後にはこう勧められています。...
「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、
『何の喜びもない』という年月が近ずく前に。」(12:1)
この方に創造者なる神を知って欲しいと心から思いました。
私はこの神さまを信じ救われてからはむなしい人生ではない。
孤独ではない。
今日から新潟へ行きます。
7年ぶりです。新潟、新発田、村上、上越、
その後、金沢回りが近いので途中で白山の教会に
寄っての旅です。
「あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる。」
(詩篇37:5)
このことばのように主にゆだね、主に導かれての旅
です。
みことばを沢山書いて持っていきます。
特にこのことばは多くの人を励まし救ってくれたから。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを
休ませてあげます。」(マタイ11:28)
イエスさまのことばです。今もなおこのことばを
読みイエスさまに救われた人たちがいかに多いか。
今日もイエスさまは語りかけています。
「わたしのもとに来なさい。
「わたしが休ませてあげます」
私と兄
久しぶりに兄に会いました。「タイ料理を食べたい」と言う
ので奈良公園近くにある店に入りました。
何をどのように食べるか知らない兄なので私はとりあえず
だれもが食べられる「カオパット(焼き飯)」と「ヤムウンセン」
を注文。日本人がやっている店なので日本風ですが美味しかった!
兄と語らい。脳梗塞で倒れたのは63才の時だから、あれから
15年がたっている。リハビリのお蔭で会話も「普通」になった
みたい。しかし、兄は「いやことばが出ないいんだ。ひらがなが
思い出せず書けないんだ」と言う。それでも老人施設と学校で
働ける。それに、リハビリで始めた絵を描くことは続けていて
今では見事な作品となっている。
夕陽が沈む中に平城宮